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2016年5月の4件の記事

2016年5月31日 (火)

西洋人は日本の「子供の掃除当番」を「虐待だ」と叫ぶ

テレ朝で毎週放送している「スゴ~イデスネ!!視察団」を見て思った。

この番組では、過去に、
・日本の小学校(教育)
・日本の幼稚園、保育園
について放送した。

そこで、視察に来た西洋人の専門家(教師や保育士)が言う。
「子供に掃除をさせるなんてあり得ない」
「これは虐待だ」

私はこれを聞いて、かなりショックを覚えた。
私も子供のころに学校で掃除をしたが、
これを「虐待」と思ったことは無い。
そして、今の時代の学校での掃除も、決して「虐待」だとは思わない。

掃除は、子供のころは、決して自ら進んで行うようなことではないだろう。しかし学校で「掃除の時間です」と言われて、「絶対にやりたくない」と思ったことはない。むしろ「勉強の息抜き」として「楽しい時間」の一つだったように感じる。トイレ掃除ですらワイワイ騒ぎながらけっこう楽しかった。

そして、そんな中で
「社会生活において掃除は大事なこと」
「掃除は汚した本人達が自分で行うべき事」
と理解した。

 

これは、自分の中での「1つの財産」だ・・・と感じたのは、中国などの民度の低い社会を知った時だった。そして中国人たちが、日本の掃除文化に驚き称賛する昨今においてだった。

西洋人は、これを「悪い制度」と認識する。

私が思うに、
これは、宗教観の違いなのでは・・・と。

日本の学校での「掃除」の制度は、
インドや中国よりも東の文化圏からは、「素晴らしい」と言われる。
そして、ヨーロッパ文化圏からは「絶対に有り得ない、虐待だ」と言われる。

たぶん、キリスト教などの文化圏において、「掃除」というのは「罰」なのではないだろうか。
そして、仏教や、ヒンズー教において、「掃除」は、「徳を積む」「修行」という意味合いが強い。

この違いが、もしかしたら、この評価の差を生んでいるのではないだろうか。

 

私は思います。
「掃除は文明人にとっての義務」
・・・と。

国民の義務は、「納税、教育、労働」の3つだけど、
それ以前に、
文明人の義務の1つとして、「掃除」が有るはずだ。

これを、学校の中で教えることは正しいはずだ。
これを、「罰」として考えるのは、西洋人の、文明人としての「間違った部分」なのではないか、と私は考えます。

 

最近、「羽田空港が清潔世界一」ということで話題となっている。イギリスの調査機関による発表「ワールド・エアポート・アワード」の「清潔部門」で1位らしい。

そして、羽田空港は、「清潔」だけではなく、「清掃員の気さくさ」「気軽に話しかけられる」なども、外国人から好評を得ているらしい。私が勝手に想像するに、これはまず基本として「日本人特有のサービス精神」もあるかと思いますが、それにプラスして「掃除=徳という文化」も、大きいはずだと思うんです。

 

どうでしょうね。
まず、絶対に主張したいのは、「欧米人が日本の掃除文化を批判することは間違っている」ということ。そして、我々日本人は、「掃除=罰という欧米文化」についても批判はしない。
そして、私は日本の方が文化的に好きだ。

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ニュースのコメント欄に思うこと。

Yahoo!ニュースのコメント欄をたまに眺めることがある。

「いいね」を多く取得したコメントが、

一覧の上位に表示される。

 

「多数決」的な論理から言えば、

この「いいね」を多く取得したコメントは、言わば「国民の総意」みたいな印象を受ける。

そして、その上位のコメントに、自分が同意出来なかった場合、

「あれ??俺って非国民なのかな??」

・・・みたいな思いを感じざるを得ない。

 

私はこの事態に関して疑問を感じる。

コメント欄の上位を占める意見の多くは、

「感情的なコメント」

が多い。

直感的に感じた事を書いた感じ。

それに対して、多くの人が、直感的に「いいね」をクリックしてしまった感じ。

 

「多くの人が直感的にそう感じたのだから、

 それが総意だ」

・・・と言い張ることも出来る。

しかし、私はそこに違和感を感じる。

 

私が考えるに、

「直感的 = 本能的 → 理性の無い野性的な行動」

・・・の様に思えてならない。

私は常々、感じていることがある。それは、

「ネット上のコメントには、理性が足りない」

ということです。

むかしは、その代表例が「2ちゃんねる」だったけれど、

現在は、それがネット全体に広がっている。

 

果たして、

その感情的なコメントや意見というのは、

世を構築する上で、建設的な価値は有るのだろうか。

 

私が担当者で責任者なら、

「いいね」と「そう思わない」の数字が拮抗するコメントこそ、上位に表示させて、世に問うような仕組みにしてみたい。

そうすることで、「Yahoo!ニュースのコメント欄」は、社会においてより有意義な存在になれるのでは・・・と思う。

 

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将棋羽生名人電王戦出場!

とうとう、
羽生善治が、
コンピュータとの公式戦に臨む。

 

現在、彼の肩書は「名人」「王位」「王座」「棋聖」の四冠。かつて、史上初めて七冠独占を成し、天才的な棋譜を世に残している、現代最強の棋士。そしてたぶん、過去にさかのぼっても、これほどの天才は居なかったと感じさせる棋士だ。

その羽生善治が、「電王戦」に挑む。正確には、電王戦に出場するための予選と言える「叡王戦」に参加する。「叡王戦」で優勝すれば、並行して行われるコンピュータ同士のトーナメントを勝ち上がって優勝したコンピュータとの対戦が行われる。

なぜ彼は、コンピュータとの対戦を決意したのだろう。私が思うに、それは何といっても、今年囲碁の世界を驚かせたコンピュータ「AlphaGo」の存在が大きいと思われる。

 

「AlphaGo」は、以前の一般的なコンピュータプログラムとは次元の違うものだった。
これまでは、基本的には「すべての手を計算して一番いい手を探す」というのが、コンピュータの基本的な手法だった。しかし「AlphaGo」は違う。このプログラムは、人間の様に学習をする。自分で成長する。

具体的には、「AlphaGo」は、「ディープ・ラーニング」というアルゴリズムを用いでいる。これは、自らの経験を元に、問題解決の方法を探していく手法で、次第に学習していき、天才的な能力を得るようになる。最初はバカみたいな手を打つが、次第に学習していき、プロ棋士をも負かす能力を得ていく。「ディープ・ラーニング」は、ここ数年のうちに発達した人工知能の技術で、これは「社会の革新に触れる人工知能技術」ともうわさされる。なぜなら、これは「人が学習し成長する過程」に似ているからだ。

ディープ・ラーニングは、あらゆる世界での活用が研究されている。特に世において目立っているのが、例えば、車の自動運転技術だ。多くのメーカーや研究機関は、このディープ・ラーニングの手法を用いで、自動運転技術を確立しようとしている。

 

羽生善治がコンピュータに挑戦する理由、それは「自分の棋力」と「人工知能技術の発達」のバランスにおいて、拮抗するのが「今しか無い」と感じたからなのではないかと、私は想像する。先ごろ放送された「NHKスペシャル 天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」を見るに、彼はかなり人工知能について意識している感が有った。そしてその放送の直後のニュースが「羽生善治 電王戦へ」だった訳です。つまり私は、この流れからそう感じずにはいられなかった。

 

次回の「電王戦」にて、ディープ・ラーニングを用いたプログラムが参加してくるかは判らない。それに、「AlphaGo」が凄かったからと言って、電王戦でディープ・ラーニングが強いとは限らない。実は、「AlphaGo」のコンピュータは、「CPU1202個、GPU176個」のスーパーコンピュータだった。しかし電王戦で使用されるコンピュータは「最強CPU1個、最強GPU1個」のごく普通の高性能パソコンです。この部分で、まだまだ有利さはあるのですが・・・。

それでも、人間側が不利な可能性は否めない。コンピュータから見ると、将棋は囲碁よりも簡単なゲームとなる。手の数が圧倒的に少ないので、計算が少なくて済むからだ。

・・・まあでも、これは、今までのコンピュータ将棋の概念なのかもしれない。もしかしたら、ディープ・ラーニングを取り入れたコンピュータの場合、CPUの処理速度などは関係なく、「それまでコンピュータがどれだけ学習したか」という部分が重要になってっ来る可能性がある。もしかしたら「高速コンピュータが強い」の世界から、「上手く教育できたコンピュータが強い」という世界への、歴史的転換点に差し掛かっている可能性もある。

そうなると、CPU1個の電王戦でも、これは見ものかもしれない。
従来のコンピュータでも、将棋のプロを打ち負かしている。
将棋界における「せめてもの救い」は、最強棋士「羽生名人」がまだコンピュータに負けていない・・・という事実だ。
そこに、次元の違うディープ・ラーニングが参加したとしたら、どうなるのだろう。
将棋の世界は、CPU1個で、プロの棋士と同等に渡り合う。
しかし、それは、最強棋士との対戦ではない。
そして時は来る。羽生名人が電王戦に挑む。

これは大変な事に成ってきました。

将棋界の威信を掛けた戦いになるのか、
もしくは、時代を感じる為の戦いになってしまうのか。

 

わたしはずっと「人工知能と言ったって、所詮は計算の結果でしょ」と思っていた。しかし時代は変わった。人工知能は「自分で学習」をするようになった。そして多分、彼らコンピュータは、一度学んだことは、決して忘れず、そして間違えない。人間は時として忘れたり間違ったり感情が邪魔をしたりする。しかし、コンピュータにはそれが無い。恐ろしい時代に成ってきました。

これはやはり、人間がコンピュータに支配される第一歩なのだろうか。
ここが、人間とコンピュータの、転換点の一つになるのだろうか。

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2016年5月 3日 (火)

親子丼なら「なか卯」・・・

「なか卯」には、

牛丼、親子丼、かつ丼、うな丼・・・などが有る。
あと、うどん、そばがある。

牛丼は、「吉野家」や「すき家」の方がうまい。
かつ丼は、「かつや」の方がうまい。
うな丼は、「セブンイレブン」のうな丼弁当の方がいい。

なか卯の価値は、
ほかがあまりやってない親子丼に価値が有る。
いや、特にうまいわけではない。

セブンイレブンも、親子丼をやってるけど、
まぁ、なか卯といい勝負でしょう。

 

私が言いたいのは何かと言うと、
ハッキリ言って、なか卯は、私の中で存在価値が無い。
牛丼がうまくない。
かつ丼がうまくない。
その他、うな丼も、うどんも、そばも、・・・うまくない。

良いのか?これで。
なか卯と言えば、「キン肉マン」の牛丼屋のモデルとなった店じゃないか!
そんな伝統がある店が、こんなに無価値でいいのか??

私はなか卯を応援したい。
それ故に、残念でならない。

吉野家に勝て!
かつやに勝て!
グループ企業であるすき家に勝て!

 

あと・・・。

季節限定で、海鮮丼系をやってるけど、
これを是非、持ち帰り対応にしてくれ!!
大丈夫だよ!みんなちゃんと時間厳守で食べるから!

 

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