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2015年9月 1日 (火)

街にゴミ箱が無い社会が当たり前になった日本

外国人が日本に来てカルチャーショックを受けることの一つに、

「街にゴミ箱が無い」
「なのに街が綺麗、ゴミが無い」

というものがある。

 

今、日本人は街にゴミ箱が無い社会が当たり前の様になっているが、
実は、これは20年前のある事件が発端だったことを忘れている人が多い。

以前は、日本にも街中にゴミ箱が有った。

しかし、1995年の「地下鉄サリン事件」以降、街からゴミ箱は消えた。
ゴミ箱に毒ガスなどを仕込まれることを恐れた各公共機関が、一斉にゴミ箱を撤去した。

「いや、サリン事件ではなく、尾瀬のゴミ持ち帰り運動がキッカケだよ」と言う人もいますが、自然公園でのゴミ問題の例と、街のゴミ箱問題は、ちょっと流れが違う。

当時の日本人は、やはり現在の外国人の様に「街中でゴミを捨てる場所がない!どうしよう」とアタフタしたものです。
しかし、日本国民は、「テロ対策の為には仕方がない」と、諦め、「ごみは持ち帰る」という習慣がこの時生まれた。

 

現在日本では、街にゴミ箱が無いことで、それを回収する清掃員の人も居ない。
外国では、街にゴミ箱が有るのが当たり前で、それを回収する清掃員の人件費が常に掛かっている。

日本は、事件をキッカケに、1つの公共サービスが消えたわけだ。
しかし、だからと言って、生活に支障はない。
最初はちょっとだけ不便に感じたけど、
現在は何のストレスも感じていない。

私は思う。
「公共サービス」の多くは、
大抵は、そういうモノなんじゃないか・・・と。

もしかしたら、あのサリン事件が無かったら、
もし、自治体が「ゴミ箱を撤去します」と言っても、
それに対して反対運動とか、利用者からのクレームなどが発生し、
またゴミ箱が復活したかもしれない。

 

ゴミ箱という1つの公共サービスだけ注目して言ってますが、
これはもしかしたら、あらゆる公共サービスについて、それが当てはまるのではないだろうか。

日本は、現在、未曽有の借金大国となっている。
これは、日本の国民に対する、公共サービスの膨張が生んだ借金であり、
つまり例えば、国民一人一人の
「街にゴミ箱は必要だ」
という種類の、小さな贅沢が集まって、作られた借金です。

「ハコモノ行政はやめろ!」
「でも公共サービスは守って!」

みたいな、「自分勝手な節約政論」を、国民一人一人が持ってしまっているがゆえに生まれた借金1000兆円。

これ、どうにかなりませんかね。
日本人は、街からゴミ箱を撤去することに成功した。
だったら、他のサービスだって、色々と廃止できるはずだ。

「便利だけど、無くても大丈夫だよね」
というものを全て洗い出して、社会はこれを議論すべきなのだと思う。

まぁ、国の借金の殆どは、「年金」「健康保険」この2つの公共サービスが原因なんですけどね。こればかりは、国民のみんなは手放さないか・・・。この権利は巨大すぎる・・・。

 

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