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2013年6月24日 (月)

遭難した冒険家の救助は国の義務

辛坊さんが海で遭難し、自衛隊に救助された。

このことに関して、
「国の税金をつかいやがって」
と語る人がいる。

自ら命がけで旅立ったのだから、失敗したら「自己責任」として救助費用は自己負担すべきだ・・・。そのような考えがあるのは解る気がする。

しかし、社会の構造として、それでいいのだろうか。

 

まぁ、辛坊さんにしてみれば、「イラクからの法人救助での自己責任論うんぬん」・・・とかいいう話がネット上でささやかれてますけどね。その真偽と、考え方については、それはそれで別の話として。

 

 

例えば、飲酒運転で事故を起こしその違反者が怪我をしたら、救急車が出動しその人を救助する。悪いのは飲酒運転をした人だが、だからと言って、その原因を理由に救急車が出動を拒むことはしない。そしてその怪我した飲酒運転当事者はその救急車の出動費用を負担することも無い。

自衛隊や海上保安庁は、なぜ海での人命救助をするのか。
それは、その事故の処理の為だけではない。
それと同じような状況に成り得る「海の社会」に安心感を与えるため、「海の秩序」を守るために、人命救助は言わば義務となる。

まぁ、「自己責任論者はこういう場合だって自己責任だろ」と、野次を飛ばすのは良いですけどね。これを現実の社会構造にしてはいけない。自己責任論者に対してだって救助はするしその費用は国や地方行政が負担するべきものだ。

もし、「飲酒運転の場合は違反者への救急車出動はしない」または「救助費用を違反者に請求する」という社会構造だった場合、遅かれ早かれその社会は荒廃する方向へいくだろう。

ましてや、辛坊さんの様な冒険は、社会的に見て決して「違反」でも「ルール無視」でもない。例えばスキーのゲレンデで骨折し救助されるのと同じレベルの事件だ。
スキーもヨットも、どちらも「遊び」や「チャレンジ」の行為であり、それに対して社会がそれらの事故をケアしてあげなかったら、それは社会の怠慢と言える。

スキーやサッカーなど、遊びで骨折したら救急車は呼んではいけないのか。費用を負担しなければいけないのか。今回の辛坊さんの件も同じだ。費用として負担される税金の額は違えど、これらは全く同じレベルの話となる。

豪華客船の沈没事故の救助だって同じレベルの話だ。
方や「冒険」、方や「バカンス」だが、同じことだ。
タイタニック沈没事故の人命救助や事後処理でアメリカやイギリスは国や地方行政の費用を使った。そして要救助者や船会社に費用の負担を要求してはいない。
それが国の義務だからだ。

海水浴客が海で溺れても、ライフセーバー、海上保安庁、自衛隊、そして救急車は出動する。
故事の原因がその海水浴客に有ろうが無かろうが、費用は国や地方行政が負担する。

何故ならば、これが社会の義務だからだ。

 

 

「費用の負担をしろ」
と叫ぶ人の気持ちも解る。
日々の生活の中の「税金」の負担がキツイ人もいるだろう。
日本や地方行政の財政赤字を危惧して「一般会計の財布のひもを絞めろ」という考えの元からの人もいるだろう。

しかし、これらの救助費用というのは、社会構成の為の必要最低限の出費の一つであり、これを認めなかったら、そのほかのどんな会計も、全て「国や行政のやることは全て無駄だ」と叫ばなければならなくなる。

この辺の、社会における会計の価値観は、決して間違ってはいけない事柄だろうと私は考えます。

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