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2013年4月10日 (水)

和食は口の中でハーモニーを奏でる

Les gens français peuvent comprendre mal de la nourriture du Japonais-style.

西洋食の中心の一つにフランス料理がある。

フランス料理には基本的な食べ方がある。
前菜 → スープ → メイン1 → メイン2 → デザート
・・・という流れだ。

これは何も、特別に気取った食べ方ではなく、例えばフランスの家庭料理の食べ方もこのような流れで行う。
サラダを食べて、スープを飲んで、肉料理を食べ、最後に軽くフルーツなどを食べる。

なぜこのような事に成るかというと、
・サラダとスープを、時間を置いて別けて味わいたいから。
・肉料理にスープの味を混ぜたくないから。

つまり、全ての料理は、皿に並んだ時点でそれがシェフの考える調和の形であり、それを尊重する為に必要になってくる。
スープにはスープの調和があり、メインディッシュにはメインディッシュの味の調和がある。
全ては皿の上でハーモニーは完成している。

フランス人はこのような思考のもとで食事をしている。
フランス人にとっては、肉料理とスープを交互に口に持っていくことは考えられない行為なのかもしれない。

 

 

さて、そこで日本です。
和食についてです。

 

日本の和食の基本は、「ご飯、みそ汁、おしんこや梅干し、魚料理、煮物」などが1つのお膳に乗る。

みそ汁を口に含んで、それを飲み込みながら、その味が消えないうちにご飯を口に掻きこむ。おかずを箸でつまみ、左手で持ったご飯の上でワンクッションさせたうえで口に持っていく。当然ご飯にはおかずの味付けが少し付く。そしておかずを飲み込むか飲み込まないかの、次の瞬間にご飯を掻きこむ。

この食べ方、フランス人にとっては信じられないことなのです。
フランス人が和食を出されたとき、まず、みそ汁を飲み干し、煮物の皿を空にして、次に魚料理を食べる。もしかしたら、ご飯についてはいつ食べるべきか迷う存在かもしれない。ご飯は何も味が付いてないと感じるだろう。フランス料理のパンの位置づけと同じように食べるかもしれないが、パンにはバターやガーリックなどの味が付いているがご飯には味が付いてない。日本人はコメの繊細な甘さとか美味さを感じることはできるが、西洋の味に慣れた舌ではたぶん無理だ。

フランス人にとって、例えばみそ汁はお椀の中で完成しており、その中だけで調和を保つものだと考える。煮物や魚料理もしかり。

つまり、フランス人はこの辺に関して、
和食を誤解をしているかもしれない。

 

和食は、お椀や皿の中ではまだ「食」として完成はしていない。
和食における皿の上の”とりあえず”の調和は、それほど大切にする必要はない。

 

日本人は、みそ汁とご飯が口の中で混ざった段階で、そこに味の調和の頂点を持っていく。魚料理を口に含みながら、その味とご飯が口の中で混ざって、美味さの頂点がそこに生まれる。

もしかしたら、皿の上で調和の頂点を表現したいフランス人にとっては、「ならば最初からご飯とみそ汁を混ぜてお椀に注げば良いのでは?」と唱える人も出てくるかもしれない。
しかし、日本人の誰もが知っている通り、これはつまり「猫マンマ」であり、全然違う食感の食べ物と成ってしまう。ご飯の食感が悪くなり、みそ汁の味も薄まってしまい、食としてパンチ力が無くなる。
ご飯の食感や、みそ汁の味を直前まで保ちつつ、口の中で混ざることで、絶妙なハーモニーがそこに生まれ、和食はその美しさの頂点を迎える。

 

フランス人は、肉料理に合ったワインや、魚料理に合ったワインを探す。
日本人は、ご飯の味や食感に合う料理を作る。

もしくは、日本人にとってのみそ汁は、フランス人にとってのワインと同じかもしれない。
フランス人にとってワインの味にはポリシーがあり、日本人にとっては、昔はそれが味噌だったかもしれない。各家庭で味噌をつくり、みんな自分の家の味噌が一番だと自負していた。

フランス人は、ワインを口に含みながら肉を食う。
日本人は、おかずを口に含みながら、ご飯やみそ汁を食う。

 

西洋人は常に物事に調和を求める。
日本人は混沌の中から安定を見つける。

西洋人が調和を求める思考には「神を理解する」という根本が有るのかもしれない。元々は、西洋の学問は全て「神は世界を作った」「世界の意味を理解したい」という流れから「神は調和の取れた世界を作ったはずだ」と信じるが故、世の中の調和について研究は進んだ。

音の調和の研究から音階や和音の理解が進み音楽が生まれた。
星の存在を理解するがゆえに占星術が天文学に変化し物理学が発達した。
数学の世界も数字に調和を求めるがゆえに凄まじい発展をする。

そして料理だ。
料理も、皿の上での調和を求める。神の作りたもうたこの世界は、皿の上にも何かしらの調和が存在し、そこに正解が存在するはずで、それを求めてシェフは料理を作る。
西洋料理にはレシピというものが存在し、それはまるで音楽の楽譜のごとく、料理の調和の原理をそこに示すことができる。調和は常に解りやすく表現することが出来る。

対して和食にはレシピは存在しない。基本的な作り方はあったとしても、それが和食の重要な部分ではない。素材の目利き、包丁さばき、出汁の取り方、焼き加減、煮加減、塩加減、全ての事を10年以上掛けて修行し、体にその”料理”が染み渡ることで和食の混沌を理解し表現することが出来るようになる。

西洋料理の世界では、数年で基本的な腕を身に付けたなら、あとは個人の実力次第で一気にトップシェフになったりもする。ここ数年では化学の実験かのような奇抜な料理法が流行っていたりして、そういう柔軟な思考の出来る若手が料理のヒットメーカーになったりもしている。つまり、調和の一つを発見するごとにシェフは評価が上がっていく。

西洋料理は足し算の料理。料理は実験。ソースレシピが命。
和食は引き算の料理。料理は修行。素材が命。
こう分けて理解することも可能なのかもしれない。

和食にも「秘伝のタレ」などというものが存在するが、これは単なる伝統の受け継ぎだけを意味したものであり、レシピ的なものではない。中身はみんな基本的なものだったりする。つまり西洋料理の「秘伝のレシピ」とはちょっと意味が違う。

 

西洋と日本では、ものの目指すところが違う。
こと料理に関してだって、少し考えただけでもこれだけの違いがある。

私が思うのは、西洋人は正しく日本の料理を理解しているのだろうか・・・ということだ。西洋の思想的な尺度で日本の料理を理解しているのでは、単純にして奥深い和食の世界を真に楽しむことは出来ないだろう・・・、そう私は残念に思うのです。

ただ、これは日本人が海外に行ってその地の料理を堪能するときにも同じことが言えるはずだ。いや日本国内でも同じことが言えるかもしれない。
食は旅の楽しみの大部分を占める。
それを存分に楽しむには、その地の思想や哲学を理解することで、幅は広がるのかもしれない。

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コメント

Je vous remercie très sensiblement pour votre texte passionnant. J'ai été la recherche de ce type de message pour obtenir un temps vraiment très long. Merci.

投稿: red bottom shoes | 2013年4月11日 (木) 03:37

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 株の初心者 | 2013年4月15日 (月) 15:46

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