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2011年8月28日 (日)

暴力団排斥の流れ

島田紳介が暴力団関連で引退した事については、どうでもいい。むしろ芸能界が面白くなってきた。

「暴力団排斥」の流れにおいて私が興味あるのは、日本社会のバランスについてです。

日本には第二次大戦後、妙な”三すくみ”の関係が生まれた。それは、
「警察」「暴力団」「右翼」の関係です。
これらがジャンケンのように”三すくみ”な状態にあるんです。

私がこれを最初に知ったのは、福本伸行の漫画だったか、ナニワ金融道だったか・・・。最初は眉唾でしたが、成るほどそうかもしれない・・・と理解を深めたものでした。

 

すなわち、
・警察は、暴力団に強く、右翼に弱い
・暴力団は、右翼に強く、警察に弱い
・右翼は、警察に強く、暴力団に弱い
この構図です。
なぜこのような構図に成ってしまうか。それは理由は2点ある。
一つ目として、右翼の活動とその理念です。「威力」になりそうな事柄を警察が取り締まろうとも、全てを「政治活動だ」と言い張ることで警察の足を止めてしまう。
二つ目は、暴力団の活動方針です。暴力団の組織としての心情の根幹は「やくざ」であり、そこには「任侠道」というものがある。つまり、市民が困っていて法的に解決できない事柄の場合、政治思想とか関係無く、それに対して活動する心情が「やくざ」の心を持つ暴力団には有る。

最近、朝の情報番組「とくダネ」での島田紳介報道の中でそれを発言したら、ちょっと面倒な事態になっちゃったらしいですけどね。とてもデリケートな問題です。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw105566

実は私「とくダネ」を毎日全て録画してるんですよ。
で、普段は早送りで見る。そして見たら削除。

この件の経緯をネットのニュース記事で見た後に、番組をしっかり見てみたんですよ。するとですね、どうも、ニュース記事で見るような抗議が飛ぶ発言とは思えない。そして私がこのとき感じたのは「政治的な意図があっての抗議の意見」なのではないか・・・と。それを感じた次の瞬間、私の思考は日本社会全体の構造変化についてイメージが膨らんでしまいました。
又はですね、「この三すくみ構造についてビックリした人の行動の一部」が抗議発言として挙がってしまったのか。

私がその「とくダネ」を見て感じたのは、小倉の意見というのは、

・三すくみの構造がある。
・警察は右翼に手が出せない
・一般市民が右翼に手を焼く場合、暴力団に問題解決をお願いする事が有る
まず、この構図が現実社会の中に存在することを説明しました。
これに付いての抗議は無いはずです。
現実の社会を解説しただけですからね。

でも、その事実にビックリして、その事実を認めたく無くて、「そんなはずない!」と抗議しちゃう人も中には居たかも知れませんけどね。いやもしかしたら抗議した人のほとんどは、そんな深層心理からの行動だったのかも知れない。

 

小倉が発言した内容の中には、社会に対する「問題提起」が含まれていました。しかしその「問題提起」に気付いた人はどれくらいいたでしょうか。
つまり、
「この三すくみ構造の中で、暴力団の力が弱まったら、一番得をするのは右翼団体だ」
という事。

右翼思想の人の琴線に触れる発言や行動を取ってしまうことはとても容易であり、それを避けて生活する事は難しい。例え右翼思想に反対していなくても避ける事は難しい。一瞬しゃべった言葉や、知らずに取っていた行動など、どこに琴線があるか解らないからです。

そして、権威の有る人がその琴線に触れてしまうと、右翼からの大きな「政治活動」を受けてしまう。
今回の島田紳介の件も実はキッカケは右翼との問題だったらしいです。
また、有名どころの事件としては、竹下元総理への「ほめ殺し事件」でしょうかね。実はこのほめ殺し事件の仲介に入ったのも暴力団でした。稲川会という広域暴力団です。

ね・・・。
政治家だって暴力団に頼るしか無いんですよ。
どちらかと言えば右翼が支持しそうな自民党のトップだって右翼と問題を発生させちゃうんですよ。琴線はどこにあるか判りません。そして警察や法律はそれを取り締まれない。

この日本社会の構造の中で、もし暴力団だけ一掃してしまったらどうなるだろう。
それが小倉の問題提起だったと思います。
つまり、もっと踏み込んで言えば、
「暴力団を法律で取り締まるのと同じように、右翼活動についても法律で制限していく必要がある」
という意見に繋がる訳です。私は小倉の発言を聞いていて、それを意図しているのだろうと感じました。

つまりですね。小倉だって滅多な事は言えない訳ですよ。
小倉だって右翼が恐いんです。
顔が知れて、一定の発言力があり、そんな人が「右翼の威力」に付いての発言なんて滅多に出来ない訳ですよ。つまりですね。その変が「言葉足らず」になる要因なのですが、視聴者の一部には、その「言葉足らず」の部分をかってに埋めて、「暴力団容認」と理解したようです。

また、その後にそれを受けて、小倉が訂正の発言をしましたが、これが話をこじらせましたね。小倉は説明しようにも説明できず、訂正の内容が”言い訳”の様な流れになってしまい、余計に反感をかったことでしょう。右翼の話をしたくないから、内容が暴力団の話に偏ってしまい変な流れと成ってしまう。

 

報道に対してツイッターや電話で抗議が有ったのでしょうかね。
番組内での訂正のシーンに成って私は感じました。
有る一定の仮定による予想です。
すなわち、「右翼系の人達が自分たちの立場を守るために防衛線を張る行動として抗議したのではないか」と言う事。
私がこれを想像した瞬間、有る壮大な計画を想像してしまいました。
すなわち、「暴力団排斥の日本社会の大きな流れは、実は右翼組織の政治的なロビー活動によって10年20年計画で進んできた事柄なのではないか」という想像です。

暴力団が居なくなる事は私は、まぁ、社会にとって良い事と思われます。
私は個人的に「右翼思想」を完全否定しない。私の中にもその様な思想のカケラはあるからです。

しかし、右翼組織が暴力団組織を邪険に感じるような、そのような事態まで発展する「右翼による政治活動」というのは、それは私は否定したいです。つまりそれは「威力」であろうことが予想されるからです。

 

つまり、私が思うのは、
「暴力団排斥」の社会の流れが、政治的な右翼関連の事と関連していた場合の、社会の危うさについて、懸念を感じるわけです。

 

 

 

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