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2010年8月 4日 (水)

国民の政治参加て何ですか

選挙参加こそ「国民の政治参加」そのものである。
被選挙権を行使して立候補するもよし。
普通選挙の投票権を行使して投票に向かうもよし。

しかし、私が思うに、多くの国民が間違った思いで選挙に臨んでいる。

国政とは何か。
政治とは何か。
それを履き違えて選挙に臨んでいる人が多すぎる。と私は思えてならない。とても残念でならない。

即ち、「マニフェスト」という存在への国民の自分勝手な誤解だ。

 

まず、選挙とは何か。
小学校の学級会を思い浮かべてみれば解る。クラスの中で一番大人びた人がクラスの信任を得て学級委員に成る。「あの人ならちゃんとやってくれるだろう」と想像し信任する。
また、中学高校などの生徒会長選挙の模様を思い浮かべれば選挙の本質が掴めてくる。それは「選挙公約」という存在の理解だ。一般の生徒の中には立候補した人物を良く知らない場合も多いだろう。その場合に「人物を知る切っ掛け」となるのが「公約」であり「演説」となる。そこで人と成りと考えを理解し、その人物の器を一般生徒は計る。そして他の立候補者と比べることと成る。

つまり、選挙の本質とは、「公約の内容」ではなく、「政治能力の有無」を判断する投票であるということ。公約で選ぶのではなく、人物を理解して、その人の政治理念を理解して、政治を任せられる人物かを問うものである。

 

「選挙公約」とは何か。

選挙公約とは、「私はそれを目指して政治を行っていく」という意思表示であり、選挙権を持つ人にとって、その候補者が投票するに値するかどうかを知る一つの情報となるもの。
では、「選挙公約」とは、それが実現しなかった時、政治家は「嘘ツキ」呼ばわりされるべきなのだろうか。

その政治家が一心不乱にその公約に向けて政治を行った結果として、政策実行に至らなかった場合、それは「公約違反」ではない。それが政治と言う物の本来の形なのだが、現在の日本では、マスコミが面白がって揚げ足を取るかの如く「政党の失敗」を突くものだから、国民はそれにつられて、政党支持をあっちこっちと揺り動かしてしまう。

無知な国民と、バカなマスコミと、それに翻弄されてしまうエセ政治家と。

 

例えば野党が公約に基づいた政策を提案した場合、その多くは与党に批判されて実現不能となるでしょう。この場合は政策が実現しなかった事で国民は「公約違反」と叫ぶのだろうか。いや叫ばないでしょう。この場合は数の論理を国民は感じるでしょうから。

例えば野党が公約に基づいた政策を提案した場合、その多くは野党に批判されるでしょう。しかし、国会のやり方次第では数の論理で、つまり多数決で可決させてしまう事が出来る。だが、それをしてしまうと野党から「強行採決だ!」と言われ、国民も「なんだ?強行採決だったのか?」と思考がおもむき、与党批判ともなりかねない。
つまり、与党は十分な審議において野党を説得させた後に採決を取らなければ、政治的な駄印を押されてしまう。ゆえに、与党であろうと「選挙公約」を自在に実現することは難しい事に成る。

 

さて国民は「高速料金がタダにならない!」とか、「子供手当が満額じゃない!」とか叫びながら最終的に落ちつく意見は「マニフェスト違反だ!」ということになっている。
私は民主党の肩を持ちたい訳ではない。
私だって数々の民主党のやり方には不満が有ってならない。
しかし、国民の多くが民主党に向けている「マニフェスト違反」というレッテルは、どうも理不尽な流れに感じてならない。残念に思うだけなら良いのだが、この世の中の流れは日本の政治の流れにおいて良いものではない事は確実だ。

私としては、良い政治を行ってくれるのであれば、自民党系の政策でも、民主党系の政策でもどちらでもいい。「上から政策」でも「下から政策」でも、どちらにも理があると私は考えるからです。
ただ、その「理のある政策」を行う上で、一番のネックとなっているのが「国民の自分勝手な理不尽さ」だ。

 

単純に言って、国民は
 「自分の懐が金銭的に豊かに成るならその政党を指示する」
という思考で政治を見ている。

「消費税を上げる」と言えば、その政党は支持を失うし、
「国民に給付金を出すぞ」と言えば一次的にその政党は支持を得る。

市政や県政ならそれもまた有りなのかもしれませんけどね。国政ってのはそんな目先の利を追って行うものじゃないんですよ。10年後20年後の日本の姿を見越して動かすべき政治の場なんですよ。

それにですね、
「高速無料化」だって「子供手当」だって、民主党が公約したのは1年前の衆議院選挙ですよ。衆議院てのは基本的には4年間の政治生命です。そして選挙公約はその4年間で徐々に実現していくべきものであり、国民の多くが間違って考えてしまっている「この1年間で実現しなかったじゃないか」という意見はとても残念なものとなる。1年で政治的資金の流れを大きく変えられたならそれは凄いですよ。でもそれって困難であり不可能に近いんですよ。国民は何を焦っているのでしょう。

国民は現在の民主党政治に「ダメ」を引導しているのかもしれない。しかし、それに変わる与党が出てきたとして、その政党がより良い選挙公約を発したとしても、この国民の急かし具合じゃ、政策の結果を見る前に次の政権だってつぶされてしまいますよ。「国民の支持の低下」ってやつにね。

国民の多くはもっと政治を理解しなくてはいけない。ただお上のやる事に一喜一憂して最後に批判してるだけじゃ、それは本来の意味で政治を観察しているとは言えない。政治に参加しているとは言えない。
選挙に臨んでいるのであれば、政治に参加しているのであれば、その政治の流れと状況を理解して、何が行われ、何が行われるべきかを自らが考えて、動くべきだと私は思う。そしてそう成っていない日本の国民の政治意識が残念に思えてならない。

 

もう一つ残念な事がある。
「地域に根差した政治(国政)」ってやつです。

地域に根差した政治ってのは、市政や県政の行うべきことであり、国政の場でそれを成すのは大きな間違いです。しかし、それを叫ぶ政治家が多い。選挙においてそれを叫ぶ候補者が多い。そしてそれに投票してしまう国民のなんと多い事か。

まったく馬鹿げている。
この流れが進むことで「世襲政治」ってのは生まれるんですよ。
この流れが進むことで「政治の腐敗」は生まれるんですよ。
この流れが進むことで「族議員」などは生まれるんですよ。

地元地域に密着した国会議員は、その地域に有意義な政策を促して、地域に利益をもたらす。それを恩に思う地元民は更にその政治家を担ぎあげ、その政治家が引退したら次はその息子を無条件で担ぎあげ、世襲は起こる。
「有意義な政策」を地域に促すには「族議員」になるしかない。省庁に対して力を発揮しなければ、地域になんて届かないからだ。そしてそれは「世襲」されることでより強固な関係となり、政治は腐敗のスパイラルなって落ちて行く。

是非とも心に留めておいてほしい。
「地元地域を語る政治家は日本の政治を腐敗させる種である」と。

「地元の看板」を背負っている政治家ではなく、「国の行く末」を語る政治家が増えてほしいものです。

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コメント

初めまして。

私も同様の疑問を持っていたのですが、
うまく頭の中でまとめる事が出来ずもやもやしていました。

記事を読ませて頂き、おかげさまで整理出来ました!

どうもありがとうございました。

投稿: つちぬこ | 2010年9月24日 (金) 01:28

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