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2009年7月16日 (木)

池田信夫はやっぱり・・・

池田信夫のブログ記事、

「自閉化」するウェブ

を読んでたんですけどね。

池田信夫さん・・・ね。
「バカが多すぎる」ということに共感している時点で、それは選民思想的な考え方であり、社会の成り立ちを理解していない「子供な思想」と言えるでしょう。

「バカが多い」を理由にネットのデータを選別し情報化しているというのは、例えば「パレートの法則(80:20の法則)」に当てはめて言うならば、社会の8割を見ずに社会全てを理解したつもりでいる・・・という事になる。

何とも浅はかな思想としか思えない。

 

「パレートの法則」では、社会の8割は無能・・・社会は2割の人材によって動いている・・・と仮定することができる。
これを100人の子供で例えて表してみる。

1~20番の子供は勉強が出来、残りの80人は凡才である。
この場合、1~20番の子供以外は見捨てていい??と考えることもできる。

21~40番の子供は文化祭で活躍する。残りの80人は全然活躍できない。
勉強のできる1~20番を含めて、残りの80人は、文化祭では無能な人材となる。

41~60番の子供は足が速い。残りの80人は運動会の足かせとなっている。
秀才や文化祭ヒーローを含めて、残り80人は、運動会では無能な人材となる。

ある特定の状況に浸っていると、人の価値を見誤る。バカ、無駄と思える人材や情報も、見方を変えれば素晴らしい物となる。

世の中が「バカ」に見えてウンザリしているとしたら、それは逆に、その人の物の見方が貧弱になっただけのこと。又は物の見方が子供レベルで成長が無いということ。

 

例えばある社会政策の賛否について、
2割のインテリはその政策の真理を説き賛成し、
残り8割の凡人が短絡的な考えから政策を否定したとします。

しかし、その2割と8割を足して社会は成り立っているわけです。残りの8割を説き伏せられない社会というのは、つまり社会全体の成長の不足。政策のタイミングとして「その時ではなかった」というだけのこと。

「バカのせいで社会が改善しない」と考えるのは浅はかなことと言えるわけです。8割を嘆くより、2割を合わせた社会全体の力不足を原因とする事が望ましい。

つまり、池田信夫の「バカが多い」への共感は、その自覚が無いことを示している。

 

池田信夫は「自閉的な天才が必要」と言っている。
しかしそうだろうか。
アインシュタインを例に出しても、それでは説得力は生まれない。100年に一度の天才を引き合いに出してもしょうがない。実質的に必要な人材とは、一部にしか特化していな能力よりも、専門の知識に隣接するある程度のマルチな才能や知識を有する人材がいい。
一芸バカなど何の価値もない。自閉的に社会と接することに美意識を感じるのは自由だけれど、それでは社会はまとまらない。人間は社会性を持つことで進化してきた。そしてこれからもそうだろう。それにはあまり自閉的な社会を認めるような考えは私は賛成できない。無駄なことにもっと目を通すべきである。社会は無駄から余裕が生まれる。そして発展する。

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コメント

そう思います。

投稿: スポンタ中村 | 2009年7月17日 (金) 08:34

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