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2009年5月22日 (金)

今週は「奥の細道」紀行 ~松島編~

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不況というものは私に自由な時間をくれるもので、定期的な東北への出張も日増しにのんびりとしてくる。

定期的な福島出張から宮城出張に延長しました。
そして宮城にて午前中が暇・・・。
ってことで、なんと松島で観光してきました。

写真とか映像とかいっぱい撮ってきましたよ。

何と言っても「日本三景」ですからね。
世界遺産規模の感動じゃないと。

そりゃね、見る前まではワクワクドキドキですよ。

何せ松尾芭蕉も見た同じ場所ですからね。
同じ感動を味わいたいじゃないですか。

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「日本三景」の一つということで、色々期待して言ってみたんですけどね。ちょっとがっかりでした。

写真などは良かった場所だけを撮ってますけどね。他の部分が最悪でした。もうね「ザ・観光地」って感じ。「古き良き景勝地」って空気が微塵も感じられない。みやげ屋、海辺のクルーザー、下品な遊覧船・・・。歴史的な風景の全てに変な物体が写りこんでしまう。

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お堂の隣に崩れそうな小屋。これね、覗いてみたら「フジカラー」とかの看板があったからフィルムとか売ってた小屋なんでしょうよ。写真を生業にしてたなら写真の構図のことも考えてそんなんところに似合わない建物を建てるなよ。

 

そんなこんなもありながら、観光地としてのダメな部分を差し引いたとしても・・・、「松島ってこんなものか」と思いましたね。こんな地形の風景がなぜ「日本三景」に選ばれてるんでしょう。

松尾芭蕉の句とされる「松島や ああ松島や 松島や」は実は芭蕉のものではない。江戸後期の田原坊という人物が詠んだ「松嶋や さて松島や 松嶋や」が変化して今に伝わったものらしい。
なぜこんな誤解が生じているのか。
芭蕉は実はこの松島で詠んだ俳句を「奥の細道」に載せていない。だからなのでしょう。「感動するはずのこの松島での句ってなんだっけ?」ということで思いつくのが「松島や・・・」であって。ちなみに芭蕉の詠んだ句は「島々や 千々に砕きて 夏の海」
芭蕉は松島に感動したのでしょうかね。
松尾芭蕉は松島には1日しか留まっていないらしい。他の場所には数日間滞在したようなのですが。

一 九日
快晴。午前8時頃、鹽竈明神を拝す。帰宿後、出船。千賀ノ浦、籬島、都島等、所々見て、正午頃松島に着船。茶など呑んで瑞巌寺に詣で、残らず見物す。開山、法身和尚(真壁平四良)。中興、雲居。法身和尚の頃、最明寺(北条時頼)殿が宿した岩窟有り。無相禅窟と額有り。それより雄島(あるいは御島と書く)の所ゝを見る(富山も見える)。御島に雲居の坐禅堂有り。その南に寧一山(一山一寧)の碑文有り。島の北に道心者住む庵(松吟庵)有り。帰ってから、八幡社、五太堂を見る、慈覺の作。松島に宿す。久之助という。加衛門の紹介状あり。
一 十日
快晴。松島を立つ(馬継にて無し)。

「奥の細道」現代訳より

私も実は芭蕉と同じコースを辿ってみたんです。遊覧船にも乗らず、半島からの展望も行いませんでした。

私の説はこうですよ。
つまり、松尾芭蕉はガッカリして早々に次の目的地へ・・・。一応句は詠んでみたけど「奥の細道」には載せないよ・・・。って感じですか。

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