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2009年3月13日 (金)

寝台特急「ブルートレイン」

10年以上前になるだろうか。
友人の誘いで宮崎にマリンスポーツに行ったことがあった。

お盆のシーズンで、事前に飛行機の予約が出来なかった私は、友人とは現地集合ということで、小倉まで新幹線で行き、そこから特急で宮崎まで行くことにした。三泊三日で遊びまくり、帰りの算段を立てる段階で、一番遅い時間まで遊んでいられる手段として「寝台特急」を選んだのでした。

その時の思い出は何ともいえない。

宮崎から小倉まで特急で向かい、小倉から寝台特急にて東京駅まで帰る。
小倉のうどんは東京のものよりうまかった。さすが西の地はうどんの文化、ダシの文化。確か小倉の地は、原子爆弾が投下されたかもしれない地だった。投下予定の日、たまたま天候が悪く、米軍による観測が困難になることが予想されたため、急きょ別の地が選ばれた。広島の時だったかな、長崎の時だったかな・・・。そんなことを思いながら乗り込んだ記憶が有る。

夕方に乗り込み、次の日の朝には東京に到着している予定。
寝台の私の席の向かいにはお爺さんが一人。四人分有る寝台のエリアには私とそのお爺さんの二人だけだった。

何気なくお爺さんと会話をした。
私が宮崎帰りであることを伝えると、そのお爺さんも宮崎からの帰りだという。お爺さん一人でどんな目的の旅なのだろうと考えていたが次第にその謎は解けていく。彼は宮崎の地で終戦を向かえたのだという。・・・そしてかつて特攻隊員であったことを告げる。終戦の次の日、つまり昭和20年8月16日、彼は沖縄にいるアメリカの軍艦に向けて帰らぬ飛行をする予定だったという。
戦後60年を経て、前年に妻を亡くし、そして思い立って元特攻隊基地のある宮崎に慰霊に来たのだという。そういえばその日の前日は終戦記念日だった。そしてその日はそのお爺さんの命日に成ったかもしれない日だった。
何とも感慨深い話だった。
こういう話を面倒くさがる人もいるかもしれないが、私は人の半生を聞くのが好きで興味深く聞き入ってしまった。

次の朝、食堂車にて朝食の販売が始まった。
私は向かいのお爺さんと共に食堂車へと向かった。
お爺さんは、私に朝食をおごってくれると言う。
見ず知らずの人におごって貰うのも何だか妙な気分だったが「袖擦れ合うも多少の縁」・・・というか、何と言うか私自身も彼に格好付けさせてあげたくなり、気持ちよくおごってもらうことにした。

連絡先を交換する風でもなかったので、その後のお爺さんは知らないが、私の中ではとても清清しい思い出の一つとなっている。

朝の山々が美しかった。
太平洋が美しかった。
いや、「ブルートレイン」という存在そのものが美しかったのかもしれない。

その時のブルートレインの名前は何だっただろうか。
「はやぶさ」か、「富士」か、今となっては判らない。

その九州~東京間のブルートレインが今日、最後の日を迎える。13日夕方発、14日朝着、これが思い出の列車の最後となる。
今この記事を書いている時間も、上りと下り二本の勇姿が最後の力走を見せているのだろう。・・・涙が出てくる。

最後のブルトレにファン殺到/横浜駅
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090307-00000004-kana-l14

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