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2008年10月12日 (日)

ドラマの感想ブログを見て思うこと

ドラマやアニメその他テレビ番組など、興味の有る作品がテレビなどで放送された後、私は興味が大いにあるので、ネット上での反響を閲覧して回る。
昨今では、ブログにて放送直後からあらゆる記事が踊る。

そんな中で思うのは、「感想と称して物語のあらすじ説明だけしている記事が多い」ということ。
あらすじをダラダラと書き連ね、所々に感嘆や思った言葉を入れているだけ。「すげー」「おぉ!」「かわいい」「怖い・・・」等等。

これは実は、小学生の読書感想文にて現れる、何ともお粗末な文章と全く同じもの。
長々とあらすじを述べた後に、最後「・・・はかわいそうだと思いました。」、「うれしそうなのでよかったと思いました。」とか、こんな感じで終る文章。そしてまた次のストーリー展開を説明したあげく「・・・思いました。」・・・と、これの連続で原稿用紙が埋まる感想文と称したあらすじ説明文書。
これで充分な感想文だとここの人間が思っているからまた厄介だ。

書き手は「あらすじをまず書く」ということで、読み手へ自分と同じ感情を抱かせようとしている。自分の感情説明を省こうとしている訳だ。意識してなくても実はそういう行動の意味が有る。自分を文章で説明する能力が掛けていることにより、その逃げ道として「あらすじ説明」の文章が入る。
文章力が無いのに、自分の感情は外に伝えたい。そんな低能力と衝動のぶつかり合いによって生まれた、つまらないネット上の「感想文」。

ガキの国語力から成長が見られない人間が多い。
「そんなの人の勝手だ」「文句言われる筋合いの物ではない」と思うかもしれないが、実はこれは社会にとって凄く残念な事だ。日本にとって、国語力の低迷、感情説明能力の低迷、文章構成能力の低迷は由々しき問題であり、大きな社会問題の種と言っても良い。

考える能力、表現する能力、主張する能力、議論する能力が足りない人間が日本には多い。小学校から始まる国語の義務教育にて、漢字の書き取りにて点数を競わせる教育は行われるが、例えば自ら言葉を作り出しモノを説明する能力の学習競争は行われない。
外国の先進的な教育の中の多くには「ディベート」や「意見交換」などを重視した教育が盛んだ。日本もこういう教育は必要だと感じる。

ドラマのネタを語ったブログでたまに、「○○くんカワイイ~」とかの、アイドルの追っかけ的な感想文を書いている人がいる。前者に比べたら何とも有意義な感想文なことか。
ボキャブラリーに乏しい文章は多いが、自分の感情を充分に説明し感想として成り立っている文章。
かつて映画評論家の淀川長治は、日曜洋画劇場でのコメントにて駄作映画の批評をするとき、そこに出ている役者の過去の秀作や生い立ちを紹介し評価し、映画自体の批評を避けていた。私はこれはこれで良いことだと思うし、ファンがアイドル俳優を追いかけるのもその域だと思う。
とても有意義だ。

 

ネット上で小説と称する文書を書いている人がたまにいる。
こういうのは大抵「台本」に分類される文書を書いてそれを小説だとしている。台詞しかない文章。鍵カッコで括られた文章しかない文書。これも自らの説明能力の無さが招いた愚かな文書。自分が描いた世界観、情景、状況の説明能力の無さが招いたもの。

 

インターネットは万人が情報を発信できる道具であり、その中には下手な文章を書く人間だって多数いて当然だ。
しかし、あまりにもそれが多い。
まるで国語の落ちこぼればかりが日本中に溢れているイメージだ。

文科省よ、各地の教育委員会よ、こんなので良いんですか?
無能に型抜きされた量産国語辞典さえ生産できれば国語力っていいと思ってるんですか?
私はこれは日本の教育界の無能を示す指標だと思いますよ。

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